坂の上の雲をさがして

長すぎて 僕の体に 秋の風 ~児玉源太郎、晩年の一句~ 「坂の上の雲」を読んで以来、児玉源太郎に惹かれました。色々と。自分なりに、児玉源太郎について(語るより描けの精神になりつつありますが)語りとうございます。

2008年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年02月

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台湾百年人物誌・後藤新平



ニコニコ動画より。
すごいよ、台湾。こういう番組が観たかった!
この動画を掲載してくれたUP主さんに感謝!
もっと知られるべき(`・ω・)ゝ

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| 児玉源太郎:(関連動画) | 23:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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忘れ去られた台湾史・日本統治時代



ニコニコ動画より。
何と台湾の番組です。
日本ではあり得ないほど歴史に突っ込んでいます。
4/7で、児玉大将が出てきます
(`・ω・)ゝ

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| 児玉源太郎:(関連動画) | 23:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。やっちゃった編其の9

乃木を助けにゆく!

旅順で苦戦している乃木大将を助けに行く児玉大将、の図(ぇ
児玉大将は何しろ寒がりなので。大山総指令官閣下からそれを気遣われて
「体を大事にしてたもんせ」と言って、防寒着を渡されたらしい。(坂の上の雲にも、描写があったような)

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| 遊んで描いてみた。 | 20:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~栗鼠将軍、若気の至り~

明治15、6年頃、児玉大将が佐倉の連隊長だった時代のお話。

その豪遊ぶりといえば非常なものであったそうな。
当地、佐倉で今も全盛を極めている米新楼という酒楼へ、とうとう6百円(今の貨幣価値に直して言うと約500万…)からの借財をこしらえてしまい、首も回らないといった次第となった。
ある時、米新楼の女将を招き真面目になって言うのに
「遊びが面白いのでついうかうか借金をしてしまったが、そのために軍人を辞めなければならんことになったから、この家の借金もどうか棒をひいてくれ」
と頼んだ。女将は少なからぬ貸しなので困ったが、連隊長をも務めるような人が実際軍人を辞めるようなことはないだろうと思い、
「ええ、ようございますとも。旦那が軍人をお辞めなさったら帳面は棒引きにしましょう」
と返事をした。
児玉大将は女将の返事を聞き、それで安心したと言って帰った。
それから、5,6日も経つと酒々井方面から5、6の腕車が威勢良く米新楼へ乗り込み、車上の美妓は皆、同楼の上等室へと通った。
すると後から法被に腹掛というすがたの若者がやってきて帳場前に座りこみ
「今来た女たちは、東京の芸妓たちだからよろしく頼むよ」
と言う。女将はどことなく見覚えのある顔のように思われるので、よく見ると児玉連隊長だから、
「おや、旦那ではありませんか」と言うと児玉連隊長、頭をかきながら
「とうとう免官でこの有様になった」
とやったので、女将は帳面を持ち出して貸金を皆棒引きにしてしまった。

すると児玉大将は、さあ占めたと言うので二階へ上がりこみ、連隊の将校たちを呼び集めて法被のまま「さあ飲め今日は6百円のご馳走だぞ」と大騒ぎに騒ぎ散らしたので、女将は呆然、暫くは開いた口が塞がらなかったそうな。

『明41・10刊、児玉大将伝』より
ちなみにこの項の冒頭で『此様な話がある。磊落なる大將にはありさうなことである。』(原文のまま。言われてる言われてる。しかしすごい話だ。500万帳消し!?若気の至りすぎるよ、児玉大将!!
(;゜ノー゜)ノ

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| 児玉源太郎:逸話 | 15:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~泰然自若の栗鼠将軍~

日露戦争開戦2日前のできごと。

台湾での度量衝改正の困難な事業が明治36年中に片がついたため、(おそらく台湾総督府の役人さんかと)權度(測定)担当の山田課長はその状況を東京にいる児玉総督に報告するために上京し、37年2月、確か6日朝に車で市谷薬王寺前町の児玉邸に赴いた。
その途中向かいから、丈の小さいひとりの将官が片手に剣を携えて歩いてやってくるのが見えた。近づいてみると、そのひとは児玉将軍だった。
山田課長は驚いて車から降りると、児玉将軍はいきなり
「やあ、おかげで度量衝のほうも大変よく片付いた。どうもご苦労であった」
と挨拶をする。山田課長はこれからお訪ねして詳しい状況を申し上げようとする所ですと言うと、児玉将軍は
「時々の報告で詳細に拝見している、まあまあ安心した」と言い、更に
「君は忙しいだろう、車に乗りたまえ、車に…僕もこれから参謀本部へでも行ってみようかと思ってブラブラ出てきたところだ」
山田課長はそのまま車を飛ばして帰った。が、超えて2日彼の仁川港、旅順港の攻撃あり、日露戦争が勃発した

山田技師が会った当日の児玉将軍はこの戦争の計略を練り、熟していたのでもあったのだろうが、毛ほどもその気色を見せず、あまつさえ自分が忙しくて長話ができない、とは言わなかった。
「君は忙しいだろう、車に乗りたまえ、車に…」と、とっさに相手の感情も損ねずに追い返すところなどは縦横の機略の一端を窺い知ることができる。
くわえて、日露戦争目前に控えていながら、車や馬車でなく、ぶらりぶらりと徒歩で出勤するところなど、用意の周到さに驚かざるを得ない。
それから、その時山田技師は、「お歩きですか」と訊けば児玉将軍は
「ああ、このところは徒歩で行ったり電車に乗ったり、ぶらぶら気の向き次第だ。まあ楽隠居のようなもんだ」と笑っておられたそうな。

※今日もまた、『明41・10刊、児玉大将伝』から逸話をひとつ拾ってみました。
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| 児玉源太郎:逸話 | 21:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~悪戯好きの栗鼠将軍~

※元の文章が読みづらいので、勝手に読みやすく書き直しています。あしからず※

児玉大将は、ふだんの起居は無造作で、ことに服装には無頓着であった為、初見の人などは、これが世に時めく児玉大将であるとは思い及ばず、その為にとんでもない間違いを生ずることがあったそうな。
大将の方では『面白半分に人を擔(かつ)いで喜んで居た』。←原文のまま。児玉大将の悪戯好きがここに立証されました。(ノ゜▽゜)ノ

桂大将と箱根の福住楼で約束があったので、児玉大将は桂大将より一足先に同所に出掛けて、さて部屋があるかと訊くと、大将の風体を熟視した宿の者は、大将を何処かの貧乏神であろうと見当付け、二畳程の女中部屋にふとんや枕と一所に大将を押込んで置いたところ、やがて馴染みの桂太郎が現れ、児玉大将は?と訊いた。

宿では未だお見えがありませんという。
「とっくに来ている筈だが、一体今日客は一人もなかったのか」と桂大将。
「あることにはありましたが何処か田舎の老爺さんで、二畳の部屋に入れてあります」と宿の者。
桂大将がその『老爺』の風体を訊くと、斯く斯くとの説明を受け、桂大将はそれが児玉大将だと勘付き、その部屋に案内させてみれば、児玉大将は二畳の部屋にごろ寝して素知らぬ顔でいる

貧乏神の正体はこうして明かされ、宿では平謝りに謝ったそうな。
このほか似たような話は数知れず。

陸軍次官だったころ(多分少将かな)、長州出身の伊藤博文、井上馨、山縣有朋、桂太郎、諸元老・大臣たちが築地の料亭で小さな宴会を催したとある。
曾禰荒介らは並み居るお偉方の前だからと、大人しく座っていたが、いっぽう児玉大将だけは傍若無人ぶりを遺憾なく発揮。可愛らしい芸妓らと戯れてさんざん騒ぎ倒した。
その騒ぎっぷりに、さすがの元老たちも舌を巻いたそうな。

しかもこのあと、例の着るものに頓着しない素朴な羽織着物姿であったため、珍事が発生する。
料亭で遊んだかっこう(髷の鬘かぶったままとか)で、そのまま児玉大将は一人で竹川という街に(おそらく酔っていい気分で歩いて)やってきた。
通りがかりの芸妓やらに頻りに戯れたりして、竹川の交番に引っ張りこまれて取り調べを受けているところに児玉大将の副官が追いかけてやってきて、何事もなく済んだとかいう逸話もあるらしい…。

(今回は珍しくソ-スあり):参考文献・明41・10刊児玉大将伝より。昨日和装の絵を描いたので、何か逸話はないかと、デジタルライブラリーで文献を漁ってみました。
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| 児玉源太郎:逸話 | 18:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の20

児玉源太郎・和服&藤(完成)

何を勘違いしたか、社保加入の手続きで不備が発覚。しかもそれで急遽、お休みを貰えたので行ってきました。あんしん、あんしん。ということで、無駄にやる気が余っていたので帰宅して続きを描いてみましたよ。

こんな児玉大将もありのはずだ。
ふだん、和装で街を歩いてたら『陸軍大将・児玉源太郎』って気づかれないのも、しょうがない気がしてきた。え、その理由は…、描いててすごく和んだから(ぇ

昨日、ブログ改装に走りまわっているときに見つけたサイト様がありまして。
アイコンが、家紋っぽくてかっこよかったので、拝借して背景に描いてみました。
※実は何気に、ブログ記事タイトル横のアイコンだったりもします。
すごいんですよ、この素材屋さん職人ですよ、職人!ここまでくると素材の個展みたい。和のものが好きな方は行って観るべし!

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| 真面目に描いてみた。 | 14:28 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の19

児玉源太郎・和服&藤

ついに0から、児玉大将を描いてみましたよ。
描こう描こうとおもっていた、和装&藤の予定です。

どうだろう。少しは似てると思うけど…。
でもまた気に入らないとか言い出すんだろうなぁ。

気長に描きますよっ。
今度は土曜日がお休みなので、そのあたりにのんびりと。

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| 真面目に描いてみた。 | 00:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。やっちゃった編其の8

児玉源太郎大将、満州にて

ブログトップの元絵を載せてみる。

ディフォルメ版で描いてみました。
ああ、何か真面目。ディフォルメなのに。
もっと可愛い絵にしようとおもっていたのに。
ちなみにお題(?)は、満州で作戦立案中の児玉大将、の図です。

ブログもあちこち弄くって、なぜか古紙風の壁紙を探すのにえらく時間がかかりました。
できれば昔の新聞風か、古紙の本みたいな感じのデザインにしたかったのです。

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| 遊んで描いてみた。 | 17:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログをリニューアルしてみました

HTMLなどの知識がないため四苦八苦。
それでも、ようやくできました。
今日は仕事がお休みなので、朝起きたらあれこれと更新する予定です。

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| お知らせ | 01:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎ってどんなひと?其の3

引き続き児玉源太郎の紹介です。
いよいよ佳境です。どうぞ最後までおつきあいください。

台湾総督児玉源太郎中将・後藤新平台湾民政局長官


1895年・明治28年日清戦争後、功績を称えられ男爵を授かる。

1896年・明治29年陸軍中将
(日清戦争後の9月頃、脳溢血で倒れる。症状がごく軽いものであったため、陸軍次官は留任)
1897年・明治30年松隈内閣が解散、第.3次伊藤内閣の成立とともに陸軍次官の職を辞する。

1898年・明治31年名古屋第3師団長に命ぜられる。
と、ここで児玉源太郎に台湾総督の席がまわってくる。

日清戦争に勝利したことにより、日本は台湾の統治権を得ており、1895年・明治28年から統治が始まる。
初代・樺山資紀、2代・桂太郎、3代・乃木希典と、歴任してきた総督のだれもが、統治に手を焼いていた。
児玉源太郎は、後藤新平と共に台湾へ向かい、8年もの間(1898年・明治31年~1906年・明治39年第4代・台湾総督を務める。
後藤新平台湾総督府民政長官に抜擢される。
主に成したことといえば、土地改革、鉄道開通、ライフラインの整備、阿片中毒患者の撲滅、学校教育の普及、製糖業(これがのちに大きな収入源になる)などの産業の育成などがこれにあたる。台湾の近代化を促した。
※もちろん、台湾の人々が日本の統治を手放しで喜ぶはずはなく、各地で反乱が相継ぎ、児玉源太郎はそれらの反乱や反抗に対し、厳しい処断を行ったことにも触れておかなければならない。
「処断」によって児玉の統治時代だけでも、4千人以上の台湾人を殺戮している。

しかし、軍政から民政へ移行させようという姿勢は一貫して変わらず、軍人総督としては稀有な姿勢であったと言える。

1900年・明治33年20世紀の始まりである。
国内では、第4次伊藤内閣が発足。児玉源太郎は台湾総督の任をそのままに、陸軍大臣となる。
が、半年経たずに解散する。次に立ったのは桂太郎である。外務大臣に小村寿太郎を起用するなど、少壮内閣として、有名である。
児玉はそのまま、桂内閣でも陸軍大臣を引き受ける。

1902年・明治35年陸軍大臣依願辞職・台湾総督専任
1903年・明治36年桂内閣発足。内務大臣・文部大臣・台湾総督兼任
この1903年・明治36年という年は、児玉にとって大きな転機の連続であった

10月、作戦参謀の重鎮とされていた参謀次長の田村怡与造が急逝。作戦立案の要をうしなった日本陸軍は後任をだれにまかせるか、ゆきづまる。
児玉源太郎しかいないと、だれもがおもっていたが、あまりにも在り得ない人事だったため、依頼しようにも二の足を踏んでいる状態だった。
そこで、児玉源太郎は自ら後任を買って出た。
児玉は自ら権力を掴みにゆく行為をよしとしなかったが、これがかれの人生において最初で最後の就官運動であった。この児玉の決断に、皆の愁眉がひらいたのは言うまでもない。

※あまりにも在り得ない人事だった、その理由※
陸軍大臣文部大臣を歴任、更に現在内務大臣台湾総督を務めている児玉源太郎は、いわゆる親任官である。それに対し、参謀次長は勅任官である。降格も甚だしいというわけで、誰も児玉の元にこの話をもってゆけなかった。(余談:日本に陸軍が創設、解体されるまでの間、後にも先にも降格人事を引き受けたのは、児玉ひとりである)


1904年・明治37年2月、日露戦争勃発。6月、陸軍大将

※日露戦争中の児玉源太郎の活躍については、まだいくつかの文献を読むのみに留まっており、勉強不足で力が及ばないため、詳細は書けません※

児玉源太郎満州軍総参謀長の任にあって、常に戦局と戦費と、諸外国記者団・観戦武官への待遇(戦費調達の要、国債発行の為)などにも細かく気配りをしつつ、満州の地で全軍を指揮して駆け回った。
金州南山の戦い、二〇三高地占拠、旅順陥落、黒溝台会戦、奉天大会戦などを戦い抜き、奉天に入城を果たした日本軍であったが、弾薬はもはや尽きかけており、兵員ともども、疲弊しきっていた。

「おい長岡、なにをぼんやりしちょる。火を点けたら消すことが肝要なのを知らんのか」
奉天から東京に戻った児玉は、出迎えにきた長岡外史に向かってこう言ったそうだ。
かろうじて漂う勝利の空気のなかで、さっさと講和してしまわないことには、これ以上陸軍は戦えないということを、児玉はだれよりもわかっていた。賠償金などを放棄して早期講和にこぎつけさせたのも、実は児玉なのである。

1905年・明治38年奇跡的な完全勝利を収めた日本海海戦を経て、日露戦争終結

1906年・明治39年参謀総長就任、台湾総督の任を降りる
参謀総長に就任したのは4月。児玉は生涯を尽くしてこの任を全うしようとおもっていたに違いない。
その現れとしては5月に、伊藤博文公らと満州を巡って激論を交わしていることからも、垣間見える。
しかし、7月23日、児玉源太郎は中枢性脳溢血により、急逝する。

大雑把ではありますが、以上、児玉源太郎の紹介でした。
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| 児玉源太郎:経歴・紹介 | 16:09 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎ってどんなひと?其の2

前回に引き続き、児玉源太郎の紹介をしたいとおもいます。

児玉源太郎陸軍大将

陸軍大学校設立において、軍制を仏式にするか独式にするかで、陸軍内で大いに揉めるが、1885年・明治18年独より「智謀神の如し」と称されるクレメンス・メッケル少佐が来日。陸軍大学校の教壇に立つ。これにより、独式に落ち着き、事態が収拾する。

児玉源太郎はこのとき、陸軍大学校の幹事であった。設立間もないため校長の席は空いたままの運営であったため、実質取り仕切っていたのは幹事である児玉源太郎であったとおもわれる。
初代校長に児玉源太郎が就任するのは2年後の1887年・明治20年

1888年・明治21年・メッケル帰国。
この際、ある記者がメッケルに対して「教えたなかで、これはという人物はいたか」という質問に、「児玉源太郎と小川又次である。この両大佐は、作戦計画の真意義を諒解しているが、特に児玉は非凡であり、器局が大きく、進言を容れ、尚且つ他人にも聴くので、参謀として、師団長として、軍司令官として大兵を率いて過誤なく、自由に動かす能力があり、理想の天分に恵まれている」と語ったという。
(この年、海軍大学校設立)

1889年・明治22年陸軍少将
(この年、2月・大日本帝国憲法発布、7月・東海道本線開通

1891年・明治24年~1892年・明治25年欧州査察出張(独・仏・露)
このとき、独・マインツにてメッケル大佐と再会。このときみた演習が、のちの日露戦争において、児玉源太郎の戦術に大いに反映されることになる。

1892年・明治25年、8月帰国。陸軍次官任命、陸軍省軍務局長兼務
時の陸軍大臣は大山巌(日露戦争時、満州軍総司令官(大山)、満州軍総参謀長(児玉)として共に戦場へ赴く)
このころから多忙になり、1894年・明治27年日清戦争勃発。

意外なことに、メッケルをして「天才である」と言わしめた児玉源太郎は日清戦争の軍編成から外れている。日本に残って、陸軍省の代表として活躍した。…と、言っても何をしたか、あまり知られていないので、ここでひとつ紹介。

※日清戦争最大の敵は、疫病だった?※
日清戦争当時、戦場では疫病の防禦対策がなされておらず、後送されてくる軍人の多くが負傷によるものでなく、病気に罹ってのものであった。死者も1万人以上が病死であり、戦場で負った傷による死者は、その10分の1に過ぎなかった。
かつて西南戦争のとき、あやうくコレラが蔓延しかけた反省もあり、日清戦争が終結した際にようやく検疫に乗り出した。
その時の検疫責任者が、児玉源太郎である。この大仕事を前にした児玉に、軍医総監の石黒忠悳(ただのり)が、後藤新平を紹介する。
後藤新平:陸中水沢藩、士族出身。須賀川医学校卒業後、愛知病院長を経て内務省入省。衛生局長となり医療行政面で活躍。などの経歴の持ち主。のちに台湾総督を務める児玉に、今回の検疫でみせた手腕を買われ、台湾総督府民政局長官に就任。児玉の死後になるが、寺内内閣の内相・外相、東京市長、満州鉄道総裁にまで登り詰めた人物
児玉源太郎は後藤新平とともに、この一大事業をやり遂げた。

実施した件数を挙げると(ピンとこないかもしれませんが)

人員:23万2346人
船舶:687隻
物件:93万2779点


にも及んだそうです。
この検疫のおかげで、日本は日清戦争と日露戦争のあと疫病や伝染病が国内で蔓延しなかった。これは特筆すべきことであります。

この事業は世界に報道され、注目を浴びることになるが、知られたのはかなり後だったのかもしれない。なぜなら、欧州で第一次世界大戦後に疫病が蔓延し、特にインフルエンザが殺人的に流行したため、戦争と並んで悲惨な状況になったとあるからだ。このことが、もっと早く知られていれば…。

以上、意外と知られていない日清戦争での児玉源太郎の活躍でした。

長くなってきたので、一旦切ります。
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| 児玉源太郎:経歴・紹介 | 11:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎ってどんなひと?其の1

肝心の、児玉源太郎を紹介していないことに気づいたので、します。
勉強不足で恐縮ですが、まァ
ぶらりと立ち寄ってくれたひと、そうでもないひとも、ちょっと覗いていってくださいな。


児玉源太郎陸軍大将・肖像


上の人物が児玉源太郎です。

生没年月日:嘉永5年閏2月25日~明治39年7月23日(享年54または55)
(西暦計算に直すと1852年4月14日~1906年7月23日)

周防国都濃郡徳山村(現・山口県周南市)に、長州藩の支藩である徳山藩の武士・児玉半九郎の長男として生まれます。児玉源太郎はいわゆる「士族」出身です。(ちなみに元服した時の名は、児玉源太郎忠精(ただきよ)
しかし児玉家は、父・半九郎の憤死、義兄・次郎彦の惨殺という事件がおこり、嗣子・源太郎(幼名:百合若)が元服していないため、家名断絶の憂き目に遭いますが、のちに復興します。

明治期は大日本帝国陸軍の軍人さんでした。最終階級は大将です。

Q:児玉源太郎は、何をしたひと?
A:大雑把に言うと、日露戦争で活躍した軍人さんです。

※でも、そこに至るまでどうだったのかというと、こんな活躍をしてます※

1868年・明治元年(16歳)、戊辰戦争で初陣、このとき半隊司令士(小隊長に該当)で指揮を執り、夜襲をうけたものの、機敏な判断をくだし、隊士にひとりの死傷者も出さなかった。
このため、参謀として参戦していた山田顕義(のちに、日本法律学校を創設。日本大学の前身)の目にとまる。

戊辰戦争後に京都に設立された仏式歩兵伝習所へ入所。
山田顕義の推薦もあり、その後躍進し、1872年・明治5年(20歳)、大尉拝命。

1874年・明治7年佐賀の乱(このとき負傷。右手首、左腕に銃弾が貫通)

1876年・明治9年神風連の乱(司令官・参謀が惨殺されるも、果断な処置で事態を収拾する)

1877年・明治10年西南戦争(参謀少佐で参戦。熊本城籠城戦を戦い抜く)
↑ちなみに西南戦争時、「コダマショウサハ ブジナリヤ」という電報が東京から届いたという。
先の二つの内乱で活躍した児玉源太郎は、当時26歳。いち少佐であったが、いかに期待をかけられていたかわかる逸話として有名。

このあと、1878年・明治11年の12月まで熊本で事後処理などをこなす。

ここで、児玉源太郎がどの辺の時系列にいるのかわからないひとのために。
わかりやすい事件をあげると…。大久保利通が、東京で暗殺されています。あと竹橋事件ですかね。

このあと、東京の陸軍省から呼び出されて出向くのですが、同郷出身で、僅かながら兵学寮で共に過ごした、ニコポン・桂太郎と再会したのを契機に、山縣有朋陣営に足を突っ込むことに。

1880年・明治13年中佐・東京鎮台第2連隊長
このとき、同じく兵学寮で共に過ごした乃木希典大佐率いる、東京鎮台第1連隊に対抗演習を申し入れ、変幻自在の陣形で第1連隊を負かした。
秋には雪辱戦ということで、逆に第1連隊から申し入れがあり、再び対決。
これもまた、児玉源太郎率いる第2連隊が勝利をおさめ、「何事も機転の利かぬ野狐を、七分小玉で打ちあげた」と、歌をつくって部下に歌わせたという逸話も。

1883年・明治16年大佐
陸軍大学校設立される
(ちなみに、この年に鹿鳴館が完成していたりします)

続きは次回!
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| 児玉源太郎:経歴・紹介 | 23:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の18

児玉源太郎大将・描き直し其の2

気に入らなければ、何度でも描き直す!
「やっつけ軍服・夏衣」に引き続き、描き直し2度目です。
正味4時間で完成。しかし、一部使いまわし(ぉ
何かやっと、納得した絵が描けた気が。

やっぱり文章であれこれと書くより、絵を描いているほうが気持ちがこもる。
カキカキ(*´ー`)ф
それにしても、学生時代は文系選択で作文の類は得意だったはずなのに。
ウチの母はかなり絵心があるので、そこいらへんが似たのかとおもうと嬉しいなぁ♪
お陰で好きな絵が描けてるわけで!
お母さん、ありがとう(・▽・)ノ

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| 真面目に描いてみた。 | 21:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。やっちゃった編其の7

かれの中に世界が見える

そして、やっぱり可愛いバージョンが描きたかった模様
しかし真面目に描きました。一体児玉大将は、何を見つめて、何を考えていたのだろうとおもいながら描いたので、絵は可愛いですが真面目です(しつこい)

「かれの中に世界が見える。何故あのような人物がうまれたのか不思議だ。驚嘆せざるを得ない」

どこで読んだか忘れましたが(またソースなしかっ)、確か日露戦争のときだったとおもいますが…外国の観戦武官(たぶん…)が言った言葉らしいです。
児玉大将の広い視野での物の考え方や、発想の転換、柔軟さが、他の将官と比べて際立っていることに、たいそう驚いたそうです。

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描いた絵を使いまわして遊んでみた。

解散選挙のとき貼りたい(自重)

これ拵えてて、ひとりで吹いた。
…(*´▽`)アハハハハハ

違和感ない…かも?
これこそ、「児玉源太郎を描いてみた、やっちゃった編」ですな。

カッとなってやりましたが、特に反省はしていません(ぉ
次の衆議院解散選挙のとき街中にベタベタ貼ってきていい?
ま、冗談ですが(笑)

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児玉源太郎を描いてみた。其の17

児玉源太郎大将日露戦時中・どこの選挙ポスターだ

ハイッ、いろいろとやっつけ仕事です!
何故か君が代行進曲をメインに聴きつつ描きました(謎

児玉源太郎日露戦時中・完成

ポイポイ(´・ω・)ノ⌒□
ハッ!!Σ(゜□゜)<怒らるる!

服のシワシワは途中で力尽きました。あっははは。
勲章はちーさすぎなので、それっぽく!(ぉ
しかし、この型の軍服は昭和の陸軍解体までほぼ続いた制式だそうで。
描いてるとなんだか切なくなってきますのぅ…(´;ω;)

児玉大将が、もう少し生きていてくれたら軍も、満州も、日本も、きっと方向性が変わってたんじゃないのかと、台湾統治時代の話を知るにつけ、おもえてなりません。(´・ω・)

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| 真面目に描いてみた。 | 18:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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坂の上の雲(8)独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)
(1999/02)
司馬 遼太郎

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敵艦見ユトノ警報ニ接シ 聯合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

失礼ながら、8巻はわくわくしながら読みました。
もうこの頃になるとアレコレと、明治時代や日露戦争に関することを調べはじめていたので、ある意味頭の中が大変な騒ぎでした(何)。

特に、旗艦・三笠が記念艦として横須賀に保存されているのを知ってしまったので、うずうずしながら読みましたよ(笑)

読了後、すぐ三笠に行ってきました。あの感動はきっと一生忘れません。
ひそかに、甥っ子が大きくなったら、三笠へ連れていこうと企んでいます♪
中学生か高校生になるころには「坂の上の雲」を進呈!読んでくれ!

そのころには、わたしも明治時代をしっかり語れるように、がんばって勉強しよう。

| 坂の上の雲:本の紹介・感想 | 23:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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坂の上の雲(7)独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈7〉 (文春文庫)坂の上の雲〈7〉 (文春文庫)
(1999/02)
司馬 遼太郎

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乾坤一擲、奉天大会戦。
独断と偏見のレビューなので、ここで好き勝手いいますが。
もし「坂の上の雲」を青春まっただなかで読んでいて、なおかつ自分が男だったら、間違いなく自衛隊員か警察官を目指していたかも。なんておもいました。
わたし女ですけど、これは大和魂をゆさぶられました。

バルチック艦隊が、ついに東へやってきますよ。
宮古島五勇士の話も、ばっちり載っています!
日本に初めて生まれた「国家」と「国民」というものが、明治時代をいかに運んでいったか、垣間見れる逸話。本当に奇跡の結晶みたいな明治時代。

いまの日本で、「国家」なんていったら…。なにがしかの感慨をもつひとって、どのくらいいるのかなぁ。(´・ω・)
はっ、何か話が違う方向に…!

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坂の上の雲(6)独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈6〉 (文春文庫)坂の上の雲〈6〉 (文春文庫)
(1999/02)
司馬 遼太郎

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息つく暇もない6巻がやってまいりました。
本当に、手に汗握ると言うことばがぴったり。
章の構成といい、本当に読んでいて引き込まれます。

”源平盛衰記”とか”平家物語”あたりを読んでいるような感覚と同じとゆーか。
歴史大作ですな、もう。 会戦のくだりは特に、読むに耐えない場面も多々あるあたり、ただの歴史小説じゃない。只物じゃないよ、ほんと。

先達が、これほど必死になって戦ってくれたのかと、初めて読んだときは衝撃をうけました。それと同時に、自分の中に座っていた自虐史観に、罅がはいった記念すべき瞬間でもありました。
いい本を書いてくれてありがとう、司馬さん!

※昨日、斜陽に立つを紹介すると書きましたが、やっぱり途中なのでやめました。

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坂の上の雲(5)独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)
(1999/02)
司馬 遼太郎

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涙なくしては読めないのは、全編通してそうですが。
この巻は、何って児玉大将が乃木大将を旅順までたすけに行くんです。
「馬鹿ァ」「わかっちょらん」「あれを見て、心を動かさぬやつは人間ではない」などなど、児玉大将の名言(?)も、もりだくさん。
児玉大将はそのほかにも、足もとの用心が悪くて山から降りるときに二度転んだとか。
二〇三高地を視察しにいくのを、腹痛(←実はうそ)と歯痛(←これは本当)だからといって断ったり。

二〇三高地をおとした夜、児玉大将は詩会をひらきます。
乃木大将のために。なんという友情。

聖将・乃木希典、智将・児玉源太郎。
もしこの二人について、もう少しつっこんだ歴史小説を読みたいとおもったならば、古川薫さんの「斜陽に立つ」をおすすめします。
ということで、せっかくなので坂の上の雲の紹介途中だけど、明日「斜陽に立つ」を挟みます。

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坂の上の雲(4)独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈4〉 (文春文庫)坂の上の雲〈4〉 (文春文庫)
(1999/01)
司馬 遼太郎

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冒頭の「黄塵」からして、スーパー児玉タイム!(何)
さすが児玉大将なだけあって、いちいちカワイイ(ぉ)
「なーに、竹矢来でも組んでおけばいいよ」(旅順攻略)とか、ちょっと失敗はあったけど。
これからが本番です、児玉大将!

黄海海戦勃発。
そしてはじまる上村艦隊の苦難。ついに蔚山沖で、ウラジオ艦隊発見!
もう逃がせない!と急いた旗艦出雲が後続を引き離して突っ込み、ドンドン砲撃!
命中しなかった弾がないくらい鬼のような猛攻だったとか。

空も飛べそうなほどプロペラ級なお髭の持ち主、長岡外史(日露後、航空機の開発に携わったらしい)はスキーの父。
バルチック艦隊はリバウ港を出航。一万八千海里の船旅なんて、大航海時代並み。北海では何を勘違いしたのか、イギリス漁船を砲撃して沈めるし。がんばれ!ロジェストヴェンスキー!

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坂の上の雲(3)独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈3〉 (文春文庫)坂の上の雲〈3〉 (文春文庫)
(1999/01)
司馬 遼太郎

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ハイ、わたしの大好きな3巻です。
が、ここでとうとう正岡のノボさんが…。
十七夜は切なくて頁を捲るのが辛い。子規逝くや 十七日の 月明に (虚子)
あなたがのぼってゆくのを、いまあしは見たぞな。
でも、正岡子規の遺志は受け継がれてゆくのです。ホトトギスは続くのです。

”いったい山本の海軍、なのか海軍の山本、なのかわからない”ほど、鬼のように海軍を切り盛りしている山本権兵衛登場。
海軍の”ウドサァ”西郷従道も、戦艦三笠建造の為に下した決断の逸話と共に登場。

そして、秋山好古はロシアへ偵察旅行に。その天衣無縫さでロシア将校もつりこます(*´▽`)
そしてついに開戦へ。「コダマじゃよ」児玉源太郎の登場。この台詞からあとは、読んで知るべし!

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坂の上の雲(2)・独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈2〉 (文春文庫)坂の上の雲〈2〉 (文春文庫)
(1999/01)
司馬 遼太郎

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日清戦争勃発。
秋山好古は少佐で出征。戦場にゆくのに、指揮刀を腰に吊っていった逸話は有名。
正岡子規は従軍記者になりたくて、陸羯南にねだる。羯南、根負け。
”天才”秋山真之がうまれる瞬間。マハン大佐との出会いなどなど。
激動の2巻ではありますが、正岡子規の俳句への情熱と、生きる姿勢がひたすら輝いてみえます!

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坂の上の雲(1)・独断と偏見のレビュー入りで紹介してみる

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
(1999/01)
司馬 遼太郎

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いまさらですが、愛読書を紹介します(ぉ)

頁をめくれば、明治時代が幕を開けます。
と、言っても過言ではないかと。
たぶん、いい意味で歴史を見る目が変わるとおもいます。

| 坂の上の雲:本の紹介・感想 | 00:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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台湾の歴史:1896~1920



散歩していたらみつけました。

ニコニコ動画より。
台湾の国営放送(?)が映像化した教科書をつくろうとして製作したそうです。
貴重ですねえ、日本じゃまず観られない番組です。

しかし、幕末~明治を勉強しなおすのはいいとしても、どこから手をつけたらいいものか。
ちょっと悩んでいたりします。(´・ω・)

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| 児玉源太郎:(関連動画) | 16:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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慶応義塾創立150年記念・福沢諭吉展

ことしは秋山好古大将の、生誕150年でもあります。
福沢諭吉といえば、秋山大将の敬愛していた人物ですよね。

くわしくはここで。

福沢諭吉展・特設サイト

| 坂の上の雲:関連事 | 00:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の16

軍帽描くだけで、もうぐったり。資料少ないんだもん。
それにしても、お正月にスパートしすぎてスタミナ落ちたかな。へたれめー。
慌てて描いてもしょうがないので、と半ば言い訳しつつ。今日また気が向いたら描きます。

そういえば、ブログで児玉さん児玉大将児玉閣下と、呼称が統一してない件について、自分的にちょっと気になったので、そろそろひとつに統一しようかな。

児玉源太郎大将日露戦時中かきかけ3

というか、可愛いバージョンの絵が描きたくてしょうがない模様。
何故って、この前たまたまテレビを観ていたら、栗鼠が映ったんですよねぇ。栗鼠が。
児玉大将に見えた(病気か)。



ふと妄想にふけった今日。
もし、児玉大将が上司だったら。なんて贅沢な!(ぉ
根っからの軍人だから、現代の企業体質に合うか合わないかは、この際おいとくとして。

実際、修羅場で疲れきってても、あの澄んだ目でじーっと見つめられたら、たまらんですな。
たぶん、プレッシャーと癒しの比率が3:7でやってまいります。
(*´▽`)ええ、もちろん癒しが7ですが何か。

もう、「期限がいつ」、「たのむ」なんて言われる前にやりますよ。もう幾らでも仕事しますとも!

しかも、プランや何かで悩みまくってるとき、こっちが相談する前にサポートしてくれそう。しかもさりげなく。
すごいたのもしそう、ってあたりまえか。ちょっと夢見てみた。はい、妄想おしまい。(何

というかむしろ、いま総理大臣になってほしい(無理だから)。

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| 真面目に描いてみた。 | 15:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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平成二十五年、伊勢神宮式年遷宮



ニコニコ動画より。

いやっ、もう神動画。
伊勢神宮すごすぎ。
というか、本当に行きたいです。

動画見ただけで、粛々とした気持ちになりました。
ありがたや、ありがたや…。
東郷平八郎司令長官率いる聯合艦隊が、日本海海戦、というか日露戦争の戦勝報告にいったときも、こんな感じだったのかなぁ、なんて思ったり。

しかしなんという神聖さ!

| 坂の上の雲:(関連動画) | 19:14 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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去年のお礼を言いにゆきました。

先日書きましたが、去年中途半端な気持ちでお参りしてしまった神社へ、それでも去年お守りしてくださったので、返納する破魔矢と御守りを持ってお礼を言いに行ってきました。

御嶽駅舎

自宅から約2時間ほどの御嶽山にある、武蔵御嶽神社です。
ものすごく古い謂われのある神社でして、機会があればぜひきちんとお参りしたいお社であります。

御嶽山展望台から

朝から天気にめぐまれ、山の上なのに暖かかったです。
まあ、雪は残ってましたし、10センチくらいの霜柱がざくざくしてましたけどね。
神社までは登山道になっているので、ケーブルカーとリフトを乗り継ぎしないと、装備なしのひとはかなり辛い道のりなのです。

ケーブルカーの乗務員さんがベテランのかただと、ちょっとしたお話しが聴けるのがおもしろいんですよね。
行きは運よく聴けました。
八王子に高尾山があるのですが、近年どうもそちらへ行くひとが増えて、御嶽山が寂しがっているということをおっしゃってまして。
あんまりにも寂しそうな言い方に、車内に乗り合わせたひとたちと一緒に、笑い声をあげてしまいました。いやいや、またいつか必ず来ますよー。

武蔵御嶽神社・下

御嶽神社拝殿

破魔矢と御守りを返納してから、しっかり手を合わせてお礼を言いました。
よかったのは、今年は疎外感のようなものは感じなかったことです。
初詣は児玉神社へ行っているため、お参りだけにしました。
おみくじや御守りなどはわけていただきませんでしたが、行ってほっとしました。
また行く機会ができたら、その時は改めてお願いをしにゆきます。

御嶽山駅

| 大事なことなので | 18:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

2008年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年02月

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