坂の上の雲をさがして

長すぎて 僕の体に 秋の風 ~児玉源太郎、晩年の一句~ 「坂の上の雲」を読んで以来、児玉源太郎に惹かれました。色々と。自分なりに、児玉源太郎について(語るより描けの精神になりつつありますが)語りとうございます。

2009年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年03月

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児玉源太郎を描いてみた。其の32

児玉大将・洋装完成

朝6時に起きて、お洗濯している間に描いてみたり。朝っぱらから何してるんだ、という気もしますが。
休みだけど、目が覚めてしまったのですよー。
いつもなら二度寝するのに、珍しく床離れが早かった。

そんなこんなの土曜日です。児玉大将、完成しました。
いつも背景が単一色なのがつまらないので、微妙なグラデーションにしてみました。

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児玉源太郎を描いてみた。其の31

児玉大将・洋装下描き其の4

もーう、FC2さん!昨晩、画像のアップロードできなかったわよ?
せっかく描いたのに。

と、まあそういうわけでして、下描き途中経過です。
まだ風邪がなおりきっていないので、今日は薬をのんで早めに寝ます。

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児玉源太郎を描いてみた。其の30

児玉大将・洋装下描き3

今日はこの辺で!
(ノ´ー`)ノ
もうちょっと、塗りたくった感がないように仕上げたいなぁ。

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児玉源太郎を描いてみた。其の29

児玉大将・洋装下描き2

あまり煩くならない程度に、描きこむつもりです。
黙々と描いていたので、気がついたら肩が凝ってたり。
無駄な力がはいってるのかもしれないので、ちょっと間を置きつつノンビリ描きます。
(*´ー`)ノシ

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児玉源太郎を描いてみた。其の28

児玉大将・洋装下描き


ご懇意にさせていただいております、明治史に造詣の深いkaiZer様が運営されている、Z旗‐「坂の上の雲」マニアックスに、遂に「児玉源太郎写真帖」が開設!
「坂の上の雲」、秋山真之参謀のように雀躍りしてしまいたくなるほど、喜んでいたりシマス。(ぉ

無駄に病み上がり(上がりきってないけど)の身で、どうしても右手がうずうずして描きたくなったので、創作意欲には逆らえず、早速お写真を拝借して描いてみました(*´▽`)ノ
咳はともかく洟が出るのは如何ともしがたく、ティッシュでかみつつ(きたなっ)
というか寝てなさいよ自分、とツッコミをいれつつ。

あー、色どうしようかな…(*´ー`)
しかし、前も描いてて思ったけど児玉大将かっこよすぎだね。

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児玉源太郎を描いてみた。其の27

後姿を描いてみたよ

今日はちょっと「背中で語る児玉大将」を描いてみたくなったので、ざっと筆に任せてみたり。

しかし、なでなでしたい、この丸いあたま。(*´▽`)

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児玉源太郎を描いてみた。其の26

三度目の正直・完成


成分:愛・150%くらいですかね(謎

ちゃんとやればできるじゃん、自分。
三笠で発見してきた、レジョン・ド・ヌール勲章が描けたので満足。
副章全部描ければなぁ…。あと3つあるんだけどどうしてもわからない。
ここまで描いたら全部ちゃんと描きたくなる!詳しい方がいたら教えて頂きたいものです。

でもまぁ、なにより。やっと魚の小骨が取れたよーぅ!

(ノ*´▽`)ノ⌒ >゜))))彡

一体いつまで児玉大将を描くんだろう、わたしは。
というか、この飽きっぽいことで知られるわたしが、よく飽きないな。と、おもいました。やっぱり愛?(ぉ

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ブログ復帰ついでに小話でも

休止します宣言をしておいて何ですが、戻ってまいりました。

仕事に慣れていなくて、しかも忙しい。
なので当然疲れはあるけど、そんなのみんな一緒。
自分の好きなことができないことの方がよっぽどつらい。というわけでブログ再開。

なるべく児玉大将関連の記事を載せようとしてきましたが、今日は復帰したついでに、自分ごとの話をしてしまおうとおもいます。

去年ふとしたきっかけで出会った、司馬遼太郎著・「坂の上の雲」。
ものすごい勢いで(多分10日かからないで読破)読み、色々な意味で目からウロコ。
それで読んでいる最中から、ネットで情報を漁る日々。
神奈川県の横須賀市に、日本海海戦を戦った聯合艦隊旗艦・三笠が保存されていると知って、すぐ行ってきました。それが確か去年の6月末で、しかも「東郷平八郎元帥特別展」なる展示会が開催されていて、痺れるぐらい感激しました。
聯合艦隊解散の辞を東郷元帥が朗読したときの録音も聴けたんですよねぇ。
あと、所持されていた軍刀・一文字吉房も展示してありました。

それで夏に実家に帰ったとき、その感動を両親に話したのですが…。

母 「あれ、三笠連れて行ったじゃない。よっこが4歳のとき」
父 「うん、行った行った」


な ん で す とー!?
マッタク記憶にないのですが!!

でも、記憶にないにしても、ちゃんとそういう歴史を窺えるところに、わたしを連れて行ってくれていたことがわかって、ものすごく嬉しかったですよぉ。

わたしの親は、歴史に対して子供に何か話してくれたり、自分の意見を言ったりしたことは一度もなく、
それだけに歴史をどういう風に思っているかわからなかったので、三笠に行った話をするのも実はちょっと勇気が要ったのです。

でも良く考えたら、父は坂本竜馬を敬愛していますし。(しかも本を滅多に読まない父が唯一持っていると言っていい本が司馬遼太郎の「竜馬がゆく」)
母は、祖父が警察官だった頃、毎年欠かさず新年の一般参賀に一緒に行っていたというし。
もしかしたらご飯を食べるのくらい、歴史認識については当たり前すぎて口に出すほどのものではないとか、思っていたのかも…?

そういえば、皇室についてもかなり敬意を持っているような気がします。
皇室についても、あえて子供にあれこれ言ったことは一度もないですが。

内親王敬宮愛子様が3歳になられたころ、ニュースで皇太子妃雅子様とご一緒におられた映像を、たまたま親とみていたのですが、そのとき、愛子様が御所にお戻りになられた皇太子様を「パパ」って呼ばれたんですよ。
そのとき、3人で顔を見合わせてかなり衝撃を受けたのを思い出しました。

わたし 「いや、そこは『お父様』じゃないのかー!?」
母 「パパはないわよねぇ、さすがに」
父 「昔なら『おたたさま』『おもうさま』って言ってたと思うけど、今は言わないのか…、う~ん」

今年の一般参賀に行くって言ったときも、すごい反応が素だったし。

わたしの親は、世間一般から見ると変わっている部類に見られてきました。
具体例をあげると
親がたまの休みに子供をどこかに遊びに連れていく。
大体、世間一般の親御さんだと、まぁディズニーランドとか。行きますよね。
うちの親は、自営業だったのもあるのですが、いきなり平日に学校休んで山形まで旅行に行ったり。
土曜日とか日曜日の朝に
「出かけるから車に乗れー」
出発して…着いたら筑波山。とかでしたからね。
楽しかったですよ、春は山菜とり、夏は母の故郷の山梨で川遊び、冬は筑波山で自然薯掘り。
特にわたしは未熟児で生まれ、体がちいさく体力もなかったので、よく高尾山や東沢渓谷などに連れて行ってくれました。本当によく鍛えてもらいました。

そんな親の子に生まれて、今この歳になってようやく親のことを見つめられるようになり、大事なことに気がつきつつあります。不肖の娘でごめんよぉぉぉぉ!
本当にありがたさが身に染みています。
父からもらった職人魂と、母からもらった芸術好きの魂を受けついで、突っ走りますよどこまでも。

ということで、なんだかとりとめのない話をしてしまいましたが。
これからも拙ブログをよろしくお願いします(*´▽`)

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児玉源太郎を描いてみた。其の25

三度目の正直?

金鵄勲章まで描きたかったけど、力尽きました(;´▽`)
まあ、のんびり行きますよっと。

史論・児玉源太郎

この写真をもとにして描くの、実は4回目だったりするのですが、やっと自分の中で合格点。
何度も描けば、そのうちうまく描けるはず!今度こそ!と思ってペンタブに向かうこと過去三度。
描き終わって見ると、「うん、まあ今回はこんなもんか」と思いつつも、やっぱり喉に魚の小骨が刺さったまま状態。
あの写真をまだ忠実に描けていない、次こそ児玉大将の絵を描こう!と思いつつ、ディフォルメ絵に逃避してみたり(笑)
今度こそ小骨を取りたいよう(´□`)

(絵を描くときって、色々音楽を聴きながら描くのですが、本日は「大神」のサントラを聴きながら描いておりました。「太陽は昇る」が一番好きです。大神の曲はなにか、熱くこみあげてくるものがあります。君が代行進曲と軍艦行進曲も好きでよく聴いています。あとはロバートマイルズ。動画のBGMで出会ったメタルギアソリッドとか(勇ましくてかっこいいので)

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| 真面目に描いてみた。 | 21:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の24

三度目の正直?

記章全部描いてみましたよ。たぶんあってるはず!(ぉ
ちょっと疲れたので、休憩(*´ー`)ノ

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| 真面目に描いてみた。 | 16:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の23

三度目の正直

ちょっと夜更かしして、描き描き。
でももう寝ます。(_ _).。o○
これはかなりうまく描けそうな予感。
(*´▽`*)また明日(今日か)♪

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児玉源太郎を描いてみた。其の22

三度目の正直?

眠いので、今日はこのへんでおしまい。
なにしろ明日仕事行ったら休みなので。かなり気が楽♪
(*´ー`)ゆっくり描けるー、嬉しいな。

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| 真面目に描いてみた。 | 23:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。其の21

三度目の正直


忙しい忙しいと言っているときに限って、むしょうに絵が描きたくなるのは何故だろう。
死ぬほど細かく描きこむ予定です。
勲章と記章も、いくつか色が判明したものがあるので、それもきちんと描きます。

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| 真面目に描いてみた。 | 00:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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『聖跡蒲田梅屋敷公園』

自分が生まれた日なので、明治にちなんだ地元自慢をひとつ。

安藤広重 江戸名所百景 蒲田梅園

↑は安藤広重『江戸名所百景』の中の『蒲田の梅園』です。
江戸時代に薬屋の富豪が開園してから、大正時代に京浜国道が拡張されるまでの間、数百本の銘木が花を咲かせており、名園の誉れ高かったといいます。

明治天皇はこの梅園を大そう気に入られたらしく、その御世の中で9度も行幸されたという記録が残っています。
ちなみに明治のころ撮られた写真が→こちら

いまも『梅屋敷』という地名で、そこに『聖跡蒲田梅屋敷公園』として残ってはいるのですが、いかんせん、京浜急行電鉄、京急蒲田駅高架化工事(これがかなり大規模な工事なんですよ。元旦に帰省した時、駅周辺で迷子になりかけました)のために、公園の敷地が大幅に削られてしまい、一部閉鎖中。更に面影が薄くなっているようです…。

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| 日本近代史 | 15:11 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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三十路の第一歩

とうとう、今日で30歳になりました。

この歳になってやっと、進む道が開けたというか、そんな感じです。

わたしはわたしなりのやり方で、これからも歩いていきます。

こんなこどもじみている三十路も、どうかとおもいますが、以上、抱負でした(*´ー`)

| お知らせ | 12:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~栗鼠将軍、大隈伯を凹ます~

児玉大将が桂内閣で陸軍大臣か内務大臣を務めていたときの逸話。

ある日、何か重大な問題に関して、元老、閣僚たちが宮中に集まったことがある。
そのとき、大隈重信伯爵も列席していたが、大隈伯はその広長舌を振るって、
一座の松方正義伯、桂太郎伯を罵って、その舌端は座中の児玉大将に及んだ。
大隈伯はその最後に大将に向かい、揶揄して
「しかし君のような敏腕家は得易いものではない。実に後世、恐るべしである」
と言うと、児玉将軍は大隈伯の舌鉾を軽く受け流して
「もう後世でもありません、この通りです」
と、自身の禿頭を指さしたので、とたんに一座は大笑いになってしまった。
これにはさすがの大隈伯の議論も腰を折られてしまったそうな。

『明41・10刊児玉大将伝』より
(※以下独り言。これも結構好きな逸話。ほんとにもう、怖いもの知らずというか…。でも可愛い(*´ー`)

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| 児玉源太郎:逸話 | 20:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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一時休止します。

なるべく毎日更新しようと心がけてきました当ブログですが、
もしかしたら、明後日あたりから2週間くらいブログの更新ができないかもしれません。

というのも、忙しいのと、まだ仕事に慣れていないので無駄な疲れが溜まっていまして。
なので、PCの前に座る気力がないというのが正直なところです…(;´□`)
いつも遊びに来てくださる方も、たまたま覗いて下さった方も、気長に更新を待って頂けると嬉しいです。最悪でも月末には戻ってきますので(*´ー`)(とか言って、チマチマ更新するかもしれないけど)
みなさん、インフルエンザや風邪には充分気をつけてくださいね!

(タイトルの『一時』に変換しようとしたら、真っ先に『伊地知』って出たよ…。どれだけ坂雲仕様なんだ、このPC(笑)

| お知らせ | 18:37 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~当意即妙な栗鼠将軍~

児玉大将の奇言、放言ともとれる応対は、談論新聞記者の苦手と言われたほどであったそうな。
記者に対する大将の当意即妙な答えに、いつも肝心な部分が煙に巻かれるといった塩梅。

それというのも、内外の新聞記者が大将と面白く話を交わして帰ってから考えてみると、
聞き出そうとした記事の取材はちっとも取れておらず、かえってこちらの知っているだけのことを喋ってきたというオチを取ることはそのたびごとで、世界に名だたる遠来の新聞記者なども児玉大将の『偉さ加減』にはほとんど呆れきっていた。

日露戦争前、ある記者が児玉大将に向かって開戦の急を説いたとき、大将はそれに答えて
「なーに、朝鮮などはロシアにやってしまうがよい、愚図愚図言うことはないさ」
と、すました顔でいる。
大将の新聞記者に対するやり口は常にこんな具合である。

現に児玉大将が総参謀長の任にあるとき奉天から帰国した際、ある記者が
「新聞記者をはじめ、その他の視察員の制限があまりに厳しいじゃありませんか」
と質したところが
「君らの目から見ると連戦連勝で、楽な戦のように思うかしれんが、俺から言えば、今占領した地点も、何時逆襲を受けて取り返されるかしれないので、昼夜その準備を整えているのだ。その真っ最中に素人に無闇に入られては堪るものじゃない」
と答えが返ってきたので、その記者も返す言葉がなかったそうな。

『明41・10刊児玉大将伝』より
(※以下独り言。軽口で笑わすときは笑わす、煙に巻くときは巻く、言うときは言う。やっぱり児玉大将のあの性格があるからこそ、生きる作戦(?)なのかもしれない)

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| 児玉源太郎:逸話 | 22:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~如才なき栗鼠将軍~

如才のないと言えば、実際児玉大将は如才のない人であった。
それはというと、『人の肺腑を射る底の諷刺に富む』如才のない人であったそうな。

明治13年・4月、児玉大将は佐倉の連隊長として赴任したが、もののひと月も経つか経たないかのある日、部下の将校らに向かって
「君たちの渾名を、兵卒らは何と言っているのだ」
と、将校らはこの奇妙な質問に驚き、そのために返答をするにも困っているところ、児玉大将は呵々大笑し、
「俺のことを木鼠と付けている君たちにも、必ず相当の渾名がついているだろう」
と、やったそうな。

これも、児玉大将が佐倉営所の司令官として赴任していた時の話。
一夜、部下将校団の宴に招かれて行ったところ、酒席に座す女性のことごとくが、清楚に丸髷を結い、服装は紋付の装いである。さて、これは将校らの家族であるな、と大将きちんと膝を正し、応接丁寧、その振る舞いは良家の誼みを訂した。
ところが、後で当夜の女性はことごとく芸妓が変装したものとわかり、児玉大将は失笑を浮かべそうになるのを堪えて、部下の将校をわざとらしく睨みつけて
「酷いぞ、何にも知らんと思って、よく一杯俺に食わせおった」
とやったそうな。

『明41・10刊児玉大将伝より』
(※以下独り言。いや、これは不覚にも可愛いと言わざるを得ない。下の逸話は、上の逸話繋がりで将校たちの仕返しなのだろうか??6百円帳消しの逸話がこの連隊長時代にあったから、児玉大将の遊びっぷりを知っていた部下たちが、それを逆手にとって悪戯したのかな。と、勝手に裏を読んでニヤニヤ(*´ー`)

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| 児玉源太郎:逸話 | 19:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~箱入り栗鼠将軍~

児玉大将の生涯のうちで、亡くなられてしまった、と思われた時が4度あった。
佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争の熊本城籠城戦、日清戦争直後に脳溢血で倒れたとき、の4度である。そのなかの、佐賀の乱での話。

児玉大将が22歳、大尉のとき。佐賀の乱で参謀の職務に就いていた。

ある日の戦闘中、官軍は戦況芳しくなく、苦戦を強いられていると見るなり、大将自ら指揮旗を手にして戦線に臨んだ。激戦ののち、敵の放った銃弾が児玉大将の右手首を貫通した。
これにより左手に指揮旗を持ち替えて、それを打ち振りしきりに味方の士気を鼓舞していたが、今度はその左上腕を銃弾に撃ちぬかれた。弾丸は貫通して左胸部に盲管銃創を負うまでに至った。
それでも、ここで倒れてなるものかと勇気を奮い起こして
「ここが辛抱のしどころだ、進め進め」
と戦場にその大声を響かせたが、多量の出血のためについに昏倒してしまう。
ところがこれに驚いた士卒は、「児玉参謀がやられた」と連呼して士気は沮喪。
たじたじと官軍が退きがちになったのを、昏睡に陥りながらも児玉大将が気づき、急にむくっと起き上がって「退くな、逃げるな」と大喝して励ました。このお陰もあってか、旗色が立ち直り、官軍の勝利となったそうな。

戦は勝利となったが、なにぶん児玉大将は重傷。
手足をハリガネで縛って固定し、その上仰向けに寝たまま箱の中に入れられ、ひとつも身動きがならないようにされた。児玉大将はこうなってもなお、
「とうとう、俺も生きながら箱詰めにされた」などと洒落を言ったり、
時に将校らが鮪の刺身を食べるのを見ては、
「俺にも食わせろ、どうせ助からん命だ。毒でもかまわん、息のあるうちに鮪の刺身でも食っておかねば死に切れん」などと、随分無理を言うことが度々あった。
(↑死にそうな目にあっても洒落とか言っちゃう、児玉大将の肝の据わりっぷりに惚れる(*´ー`)

その際、軍医の話によれば、児玉大将が助かったのはまったく、昏倒中から起き上がって大声で一喝した渾身の勇気が、大将を死地から呼び返した最大の原因であったそうな。

『明41・10刊児玉大将伝』より。
(※以下独り言。いくらか装飾がついて語られてはいると思う。でも、わたし的には、寧ろそのあとの怪我にもめげずに、冗談を飛ばしたりして快活さを保てていたことのほうが、命を繋ぎとめた原因だったんじゃないかと思う。)

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| 児玉源太郎:逸話 | 18:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎を描いてみた。乃木大将といっしょ

乃木大将と児玉大将

ハイッ、先日出発した児玉大将は、本日旅順に到着の模様です。
なので、今度は乃木大将といっしょであります(何

……あああ、ついにやっちゃったよ。
まず真面目な肖像を描く前に、可愛い版で乃木大将…。
だって逸話を拾っていたら、描きたくなっちゃったんだもの!(;゜□゜)

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| 遊んで描いてみた。 | 20:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~ふたりの将軍~

乃木大将と児玉大将

乃木希典大将と、児玉源太郎大将はふたりともそれぞれ3・4代の台湾総督を経験している。
その当時、台湾での総督官邸というのがふたつあり、古い方は洋館で、新しい方は日本家屋だった。その新築のものは前任の桂太郎大将が建てさせたもので、特に執務室である2階部分は大層豪奢なつくりであった。

乃木大将は、着任早々に文官・武官の宿舎などを巡回して見たとき、それらの建物が余りに粗末だったので、これではだめだ、と言って官舎の新築を命じた。完成を急がせている間、乃木大将は自身も質素にと、古い洋館の方で過ごし、けして新築の建物には入らなかった。他の官僚が
「何故お入りにならないのですか」
と伺うと、乃木大将は生真面目な顔で
「君たちがこんな粗末な宿舎にいるのに、こうした立派な官邸に住むのはもったいない」
と言って、それを終始通したそうな。

ところが、児玉大将が4代目の総督になって赴任してからも、どうしたものか大将は新築の2階には上がらず、いつも1階の秘書室で起居していた。これもまた官僚のひとりが見兼ねて
「児玉閣下はなぜ2階にお住まいになりませんか。いつも階下に居られて、暑い暑いと言っておられるのは、けして褒められた話ではありません」
と思い切って言う。
児玉大将は呵々と笑って
「俺が2階に上がらないのは乃木が上がらないのと訳が違うよ。俺はあんな料理屋の腐ったような2階に居るのはまっぴらだ」
と言って、一向に構わなかったそうな。

と、ここに乃木大将と児玉大将の性格が窺える。


『明41・10刊、児玉大将伝』より。
※原文のままだと読みづらいので、少し変えて読みやすく書いています。

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| 児玉源太郎:逸話 | 18:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~天衣無縫な栗鼠将軍~

児玉大将が満州滞在中、朝早く起きて陣営を見廻り、帰れば椅子に座って小唄を唸るという有様で、何事にも頓着しないふうであった。
しかし各陣から報告でも来ると、深夜でも何でも問わず、副官を呼び起こす間もなく独りでこれらの考案を作って、人手を借りない。
そしてそれが済めばまたごろりと寝台へ潜りこんでしまうという風で、その軽快なことは少壮者をも凌いだそうな。

奉天に滞在中、大山巌満州軍総司令官は、常に軍服を纏って威儀を保ち、数多くの護衛兵を伴って外出するのに引き換え、児玉大将は身軽な商人服を纏って(おそらく一人で)外出していた。
万が一のことがあっては大変だし、ことに我が軍の威厳にも関すれば、と言ってしきりに諌めた者があったけれども、大将は笑って答えず、一向にその流儀を改めなかった。
児玉大将が身辺の修飾を意としなかったことは人の知るところであるが、滞陣中外出先から帰営する際、将校下士卒で敬礼をする者がいれば、大抵が軽く頭を動かすくらいで、時には答礼まで抜きにしてそのまま通り過ぎてしまうこともある。
帽子などは庇が横になっていることなどは、毎度のことで、それでも大将は一向に平気な顔をしている。軍刀は備前長船の逸品、これも普通の人とは持ち方が違っていたそうな。

(『明41・10刊、児玉大将伝』より。かなり好きな逸話。前にソースなしで紹介したことがありましたが、原文を見つけたので大喜びです。※原文のままだと読みづらいので、少し変えて読みやすく書いています。)
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| 児玉源太郎:逸話 | 13:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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児玉源太郎の逸話~慈愛深き栗鼠将軍~

演習中、児玉大将が部隊を指揮すること、その性格のように精悍機敏であったため、
部下の疲労もこれまた一層なものであったそうな。
しかしそんな部下を慰撫することもまた他に是なく、その日の演習が終われば、
「明日も演習は続くぞ、早く宿舎に就いて休息せい」
と命じられ、設営隊に向かっては
「早く食事をこしらえて空腹を癒してやれ」
と命じられる。
しかも、それが遅々とするようなことがあれば最後、例の大声
「空腹では疲労が癒えるものではない、なにを愚図愚図しちょるか」
と、叱り飛ばされる。

かつて北清事変後、軍人の略奪問題が起こった時、或る人が大将に就いてその処分を問うた。
ところが、児玉大将は即座に次の一句を示した。
『振り揚げし 斧の手許も緩みけり 庭の木立の昔思えば』
と、以って大将が慈愛心に厚かったかがわかる。

(※以下独り言※北清事変後、軍人の略奪問題って、日本軍は一切略奪行為はしなかったとあるけど、やっぱり少しはあったのかな。『その処分を問うた』とあるから、残念ながらあったんだろうね。日英同盟がかかっているようなこの大事な時期に、もしそんなことがあったら、児玉大将のことだし、(というより軍規があるから)厳重に処罰したよね、きっと。でも、処罰するにもやっぱり情が動く…っていうことをこの句で言いたかったのかな?学がないと、こういう詩歌の解釈ができなくて困る(つдと)シクシク
『明41・10刊、児玉大将伝』より
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| 児玉源太郎:逸話 | 12:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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FC2内で引越ししました

URLを変更したかったので、引越しました。
以前と内容は全く同じです。
相変わらず、のんびりやっていきますので、よろしくお願いします。
(*´ー`)

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