坂の上の雲をさがして

長すぎて 僕の体に 秋の風 ~児玉源太郎、晩年の一句~ 「坂の上の雲」を読んで以来、児玉源太郎に惹かれました。色々と。自分なりに、児玉源太郎について(語るより描けの精神になりつつありますが)語りとうございます。

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児玉源太郎の孫が語る、祖父の死について

先日読んだ文芸春秋12月臨時増刊号『坂の上の雲』と司馬遼太郎の中に、児玉大将のお孫さんにあたられる、穂積重行さんという方のお話が載っていました。

穂積重行さんは某大学の教授と学長をなさった方で、児玉源太郎の次女仲子さんのご長男です。

児玉大将が晩年にしたためた句で、ブログトップにもありますが

『長すぎて 僕の体に 秋の風』

この一句をしるした短冊が、ご長男である秀雄さんから、次女の仲子さんに託されたのですが、大東亜戦争の戦災で焼失してしまったことを、母である仲子さんはずっと悔やんでいた、と語っておられました。

五十四歳で児玉大将は逝去されたわけですから、穂積教授ご自身は、祖父を直接知ることはなく、その代わり児玉大将の姉である久子大伯母を、”小さいお祖母ちゃん”と呼んでずいぶんと慕っておられたそうです。実の祖母である松子さんは”大きいお祖母ちゃん”と呼んで、子供時代を送ったことを語られております。(教授いわく体格の差、とのこと)

この話は穂積教授が母・仲子さんから聞いた話ということです。ここから先は次女仲子さんの体験したはなしになります。

児玉大将がなくなった日、伯母の久子さんと当時十六歳だった仲子さんは恒例の鎌倉への避暑へ出かけており、児玉大将も「後から行くよ」と言っておられたそうです。

それが七月二十四日の朝に『児玉大将急逝』の号外が出て、「父に限ってまさか」というのがまず出たおもいで、その頃ちょうど桂太郎も体調が芳しくなく、聞き間違いでは?と言っていたところ、ともかく帰宅となり、帰路の列車内などでの話や新聞の見出しに、ああ、本当に亡くなってしまわれたのかしら、と感じたそうです。

自宅に帰って、母の松子さんが長い髪を落としているのをみて、実感が沸いたとおっしゃっていました。

児玉大将のなきがらを守るために、家族でかわるがわる席についていたとき、伯母の久子さんと仲子さんが二人きりで席についた時がありました。そのとき、久子伯母が枕頭にすわって、父・源太郎のあたまを撫でながら、

「おまえは、いい時に死んだ」

と、ぽつんと語りかけるようにひと言呟いたそうです。その一度きりで、仲子さん以外ほかのご兄弟は誰も聞いていない言葉だといいます。穂積教授は『幼い母の手前、つい本音めいたものが出てしまったのでは』と書いておられました。

久子さんといえば、父・半九郎の憤死と夫である次郎彦の暗殺と、幕末維新の烈風を感じて生きてきた女性であるうえに、年の離れた弟である児玉大将の母親代わりで、その立身と―おそらく苦労も見続けてきただけに、このひと言は何か強烈なものがありました。記事を読んだとき言い知れぬ衝撃をおぼえました。

児玉大将は俳句などの雅趣には余り秀でておられなかったそうですが、あの晩年にしるした一句はどこか深いものが含まれているようだ、と穂積教授が記事に書いておられます。
この久子さんのひと言を照らし合わせると、何か納得してしまうものがあるというか…。ものすごく考えさせられます。

古川薫さんの著書、『天辺の椅子』なども、もう一度じっくり読んでみようとおもいます。
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