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坂の上の雲をさがして

長すぎて 僕の体に 秋の風 ~児玉源太郎、晩年の一句~ 「坂の上の雲」を読んで以来、児玉源太郎に惹かれました。色々と。自分なりに、児玉源太郎について(語るより描けの精神になりつつありますが)語りとうございます。

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児玉源太郎の逸話~箱入り栗鼠将軍~

児玉大将の生涯のうちで、亡くなられてしまった、と思われた時が4度あった。
佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争の熊本城籠城戦、日清戦争直後に脳溢血で倒れたとき、の4度である。そのなかの、佐賀の乱での話。

児玉大将が22歳、大尉のとき。佐賀の乱で参謀の職務に就いていた。

ある日の戦闘中、官軍は戦況芳しくなく、苦戦を強いられていると見るなり、大将自ら指揮旗を手にして戦線に臨んだ。激戦ののち、敵の放った銃弾が児玉大将の右手首を貫通した。
これにより左手に指揮旗を持ち替えて、それを打ち振りしきりに味方の士気を鼓舞していたが、今度はその左上腕を銃弾に撃ちぬかれた。弾丸は貫通して左胸部に盲管銃創を負うまでに至った。
それでも、ここで倒れてなるものかと勇気を奮い起こして
「ここが辛抱のしどころだ、進め進め」
と戦場にその大声を響かせたが、多量の出血のためについに昏倒してしまう。
ところがこれに驚いた士卒は、「児玉参謀がやられた」と連呼して士気は沮喪。
たじたじと官軍が退きがちになったのを、昏睡に陥りながらも児玉大将が気づき、急にむくっと起き上がって「退くな、逃げるな」と大喝して励ました。このお陰もあってか、旗色が立ち直り、官軍の勝利となったそうな。

戦は勝利となったが、なにぶん児玉大将は重傷。
手足をハリガネで縛って固定し、その上仰向けに寝たまま箱の中に入れられ、ひとつも身動きがならないようにされた。児玉大将はこうなってもなお、
「とうとう、俺も生きながら箱詰めにされた」などと洒落を言ったり、
時に将校らが鮪の刺身を食べるのを見ては、
「俺にも食わせろ、どうせ助からん命だ。毒でもかまわん、息のあるうちに鮪の刺身でも食っておかねば死に切れん」などと、随分無理を言うことが度々あった。
(↑死にそうな目にあっても洒落とか言っちゃう、児玉大将の肝の据わりっぷりに惚れる(*´ー`)

その際、軍医の話によれば、児玉大将が助かったのはまったく、昏倒中から起き上がって大声で一喝した渾身の勇気が、大将を死地から呼び返した最大の原因であったそうな。

『明41・10刊児玉大将伝』より。
(※以下独り言。いくらか装飾がついて語られてはいると思う。でも、わたし的には、寧ろそのあとの怪我にもめげずに、冗談を飛ばしたりして快活さを保てていたことのほうが、命を繋ぎとめた原因だったんじゃないかと思う。)

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